バックナンバー
[先月] [目次] [来月] [最新版]
2006年4月16日(日) 募集要項 18〜35歳くらいまでの方
将来何になろうか、という問いが、自分の中にいつもある。

しかし今日、そのような「将来の夢」の話をしているとき、人づてに思いがけない回答を聞いて一瞬びっくりした。

「将来とは今だ」

抜け目なく正しい回答に聞こえて愕然とした。これは私自身が直接言われた言葉ではないのだけれど、30代の同じ問いを持つ人間には皆平等に当てはまる回答だ。

しかし、よく考えてみれば、将来というのは死ぬまでいつまでも到達出来ない未来を示している言葉だと判る。そうでないとしても、ある一定の到達点の事を言っているだけに過ぎないので、やはり、死んでしまわない限りは永遠に目指すべき次の目標の事をいうのだと思い直す。

自分が考えているくだらない夢のような希望ではなくても、現在の平社員が、将来課長になりたい、部長になりたい、というような希望だって定年するまではいつまでも続く夢だし、定年後は遠くの土地に移住して余生を送りたいというような夢だってよく聞くことがある。

時々、このような、一見さも正しそうで、普通そうで、当たり前そうな「答え」を耳にして、騙されそうになる。


同時に、昨日、自分が発しそうになった同種の言葉を思い出して自戒もしようと思う。

「光のスピードを超えるとどうなるのか」という問いに、一般相対性理論の「光速度不変の法則」のあたりで有名な、「加速による質量の増加とエネルギー消費率の問題」(詳細略)を持ち出して、「光速を超える事はできない」と回答しようとした。

量子論によって、光速を超えるスピードが理論的には可能(らしい)というのを知識では知っている。しかし、「できない」と言う説明の方が簡単だし、一見正しそうで理解しやすい。現実的には人間の生活に必要な範囲外の事であるから、考えるだけムダだと言うこともできる。また、説明しようとすると、説明の説明が次々に必要になって問題はどんどん深くなる。

そこで、一瞬、回答を放棄して、「できない」で終わらせる方が楽だと思った。

どのみち、自分は誰にでもわかるようにそれを説明出来るほどおりこうさんだとは思わないし、自分自身がほんとうに判っているとも到底言えない。

しかし、「わからない」と、「できない」はまるきり違う。

そこで、「とにかく〜」と、「〜らしい」という便利な言葉を使いつつ、SF用語も引き合いに出して、「できる」と説明した。いや、言い張った。そして、光速を超えたらこうなるのではないか、と、うろ覚えと自分の想像を足して回答した。

オレはその時、偉かったと思う。格好良かったと思う。嘘吐きだったかもしれないが。

世の中にはわからないことはたくさんあるけどできないことはないとおもいます。

と付け加えると、もっと格好良い。

ということで、これからも、予算、納期に問題があって物理的に不可能な仕事や、全然興味がなくてやる気のない仕事を頼まれた時以外は「できない」と言わないようにしようと思う。

Akiary v.0.42